I love salmon

サケ・マスのデザインとデザイン研究

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NO BARB

nobarb.jpg

釣人は返しを削ろう 

BARBが LESSの針を 

トリプルフックなんてもってのほか 

腕を磨けよ 痛てーじゃねーか

返しの付いた針を深くまで飲み込んで、

針を無理に外すと致命傷になりかねないからと、

ラインを切って針を体内に残したままリリースされ、

「針はいずれ錆びて朽ち果て自然に外れる」なんて、

魚を案じるフリをして、都合の良い理屈で、

いつ錆びるか分からない針を体内に残したまま、

悠々と水の中を泳げるでしょうか?

せめて、返しを削ろうよ



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  1. 2013/08/19(月) 23:01:11|
  2. 釣り
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

「釣り」というもの

「釣り」について考えている。
魚の知識が豊富だったり、自然を愛してやまない人だったり、
所謂、「本物」の人間達は、釣りをこよなく愛する人が多い。
特に、サケマスが好きだと言って、色々調べていると、そんな人にぶつかる確率が高いだけなのかもしれないが、
得てして、釣り好きは凄い人が多い様な気がする。文豪とかにも多いね。
僕も自分がそんな人間でありたい、あるはずだと、釣りを始め、釣りにのめり込み、釣りに狂い、
良い道具を揃え、釣行前日は興奮して眠れず、夜な夜な道具の手入れをしている・・・
と言った事はまったく起きず、何か、ただそうであるはずだという希望だけで、
全くではないが全然面白くない「釣り」という遊びに僕は一人振り回されていた時期がありました。

なぜ人は「釣り」にのめり込むのか?
そもそも「釣り」とは何なのか?

そんな事を考えていると、どんどんサケマスへの愛情が歪み始め、
終いには「人間なんていない方がいいんじゃないか」という危険な思想にまで到達しかけ、
とてもとても難しい問題の中に迷い込んでしまったな〜と楽しんでいる次第であります。

僕が思っている事を端的に言うと、
釣りというのはかなり昔からあって、wikipediaによると、約4万年前、旧石器時代まで遡るらしい。
その当時はもちろん「食う」ためであり、趣味だとか、レジャーなんて言葉もなく、
日本では江戸時代あたりから釣りが趣味として行われ始めたと言う事らしい。
多分それくらいの頃って、生まれた場所、住んでる場所によって、食べる物が違ってて、
海のそばなら海のもの。山の中なら山の物。
海の人は町に海の幸を持って売ったり、物物交換したり、
山の人は山の幸を売ったり、物物交換したり。
ましてや釣りなんて、近くに川があるところに住んでる人や、
海のそばに住んでる人にしか出来ない特権であったはず。

そんな所に、産業革命以降、人々は「レジャー」というものを生み出し、
ありとあらゆるところに入って行ける手段を身につけ、次から次へと新しい場所を見つけ、
新しい遊びを作り出し、
いままであった遊びをさらに面白く発展させて行く。
そしてそれらは、一大産業として発展し、辞められなくなって行く。

釣りに関する名言は多いが、
今日、どう考えても当てはまらないし、
釣りという文化は美化され続けているが、このあらゆる状況を見る限り、そういう時代は終わったのではないか。

去年、和訳本が発売された「魚は傷みを感じるか?」という本では、
ありとあらゆる実験を繰り返し、
「魚には痛みや苦しみを感じる能力が備わっている事を示す数多くの証拠がある」と結論付けている。
魚は痛みを感じる。
それによって、「キャッチ&リリース」についても言及している。
痛みを感じると分かった以上、「もう一度同じ思いをさせてしまうかもしれない」なんて事を許容されるのか?

倫理って難しい。人間って難しい。

先月、熊本県人吉にある川辺川の偵察に行った。偵察と行っても、ダムで揺れた町はどうなっているのか、
この目で観たかっただけだけど。
砥用の方に走って、佐俣の湯辺りから人吉方面に続く山道を走って行くと、
「五木の子守唄」で有名な五木村に出る。
もう、僕の景色を見る目が戦闘モードと言うか、どんだけひどいかしか見ようとしてないもんだから、
まぁそりゃ、あれは、自然とは呼べないよ。あの辺は。工事工事工事。工事工事工事。
工事が工事を誘発してる。工事しなきゃ崩れなかった所が崩れちゃったもんだから、
大変だと工事して、それがさらに崩れやすくなって工事して。もう工事するっきゃない。
あの辺の川全部は見てないけど、川辺川、五木川、梶原川、ひどいモンです。
でも、水はキレイなんだよ。水質日本一。でも、それとこれとは話が別なんだ。
その時、梶原川の上流へ向けて車を走らせていると、2人の腰の曲がったばーちゃんがゆっくりと歩いている。
道路の真ん中近くを歩いてるもんだから、抜くに抜けず、静かな所だからクラクションを鳴らすに鳴らせず、
ちょっと「ブンブン」言わせてみたりしていると、やっと気づいてくれて、ごめんなさいと、
道を譲って頂き、ようやく先に進めた。
しかし、ばーちゃん達、どこに行くんだろうと考えていると、
ふと、2人が肩から下げていた筒状のケースが気になり始める。
あれはもしや、「釣り竿」ではないのか? この梶原川には、山女が生息しており、
昔っから「まだら」と言う名前で親しまれている。そんな川のそばに住んでいる女衆は、
釣り竿片手に今日の晩飯をちょっくら釣ってくらーと、いそいそと他所から来た釣り人は絶対知らない様な、
漁場を心得ていて、でも、今日食う分しか釣らないから数が減らないという秘境に向かっているのか。
そんな事がこの山奥では行われていて、しかもそれが公共事業という名の破壊行為に
脅かされているんではないかと思うと、ちょっと胸が高鳴り始め、上流に行くのを中止して急遽引き返し、
ばーちゃん達がその秘伝の漁場にたどり着く前にどうか会って話を聞きたい!
と戻っていると、そんな秘伝の漁場は遥か彼方にあるかの様なゆっくりとした足取りでこちらへ歩いて来ていた。
車を止め、あまり不審がられないように、明るめの声で「すみません」と声を掛ける。
でもばーちゃん達、釣り人慣れしてるんだろうか、特に驚いた様子もなく、
おはようございますとやさしく返してくれた。
もう、いても経ってもいられなかった、その肩からかけてるその筒状のソレが気になり過ぎて、
ソレ見ながらちょっと雑談なんかして、恐る恐る「ソレ何が入ってるんですか?」と訪ねると、
何と、

「ゲートボールのアレよ」

・・・なんだ、釣り竿かと思ったよ ははは それじゃ気をつけて。と、ここで調査終了し、帰る事に。
でも、その事がまたさらなる釣りに対する疑問に変わった。
今回は妄想で終わったけど、実際そうやって生きている人たちは必ずいると思うし、
ここは川だけど、海にはもっと居るだろうし、そんな人の前でキャッチ&リリースが出来るのか?
そして、魚が痛みを感じる事に付いて、今後さらなる精度の高い研究結果が出て来て、
魚って痛いんだと皆が知った時に「釣り」というものがどのような変化をもたらすのか、
釣り人の心境がどのように変化するのか、非常に興味深い。

現在、日本の釣り人口は、960万人とも言われている。
漁師の人口は20万人。これが何を意味するのか。

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  1. 2013/05/23(木) 01:30:11|
  2. 釣り
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